ブログ

2018年03月21日

思い出よ永遠に

前回のブログの続きです。お通夜での挨拶(喪主:海野真理子)と葬儀でのお別れの言葉(孫:海野A)を載せます。長くなりますが、よろしかったらお付き合いください。   *お通夜で言った挨拶(喪主:海野真理子) 本日は寒さの厳しい中、又ご多用中のところ、お寺様をはじめ、皆様方の心のこもったご供養、お焼香を賜り、誠にありがとうございました。 又、先程来からお忌みのお言葉や励ましを頂き、亡き母も共に感謝している事と思います。 母は「風と共に去りぬ」の映画が大好きでしたが、母の人生はスカーレット・オハラに似ていると思います。裕福な家庭に生まれ、若い頃はとてもきれいでしたが、両親を高校生の時に亡くしてからは苦労の連続でした。 が、どんなに貧乏しても人間としてのプライドは失わず、負けないで乗り越え、障がい児教育の教師として立派に勤めあげました。 母は優しい人という感じではなかったかもしれませんが、忘れられない人だと思います。私は娘として厳しくされたことも多く、すべてが楽しい思い出だけではありませんが、すべての思い出を私の人生の糧にしていきたいと思います。 晩年お世話になった「特別養護老人ホームいづテラス」の介護士の方々にはとても愛していただき、穏やかな日々を送れたことを感謝しています。 皆様、本日はお疲れのところ遅くまで、誠にありがとうございました。   *葬儀で言ったお別れの言葉(孫:海野A) おばあちゃんへ おばあちゃん、長い間、ずっと私たちを可愛がってくれて、お世話をしてくれて、いつも私たちの成長を喜んでくれて、たくさんの愛情を、本当にありがとうございました。 私たちは、これまでもこれからもずっと、おばあちゃんの孫でいられることを、とても誇りに思っています。 おばあちゃん、おばあちゃんが亡くなってしまったなんて、まだ何だか、信じられないです。ただ静かに眠っているだけなんじゃないかと、そう思ってしまいたいです。 おばあちゃんが脳梗塞を発症したのは、私が高校1年生のときでしたね。入院することになって、長期でおばあちゃんが家にいなくなることなんて初めてのことでした。高校からの帰り道、自転車で東大場の坂を登って、一番はじめに見えるおばあちゃんの部屋。そこに明かりがついていなくて涙が出てしまい、玄関に入って一番の「Aちゃんおかえりなさーい!」の声が聞こえなくて、また涙が出てしまう、しばらくはそんな毎日でした。 それから少しずつ体調が回復し、新設された老人ホームのいづテラスに第一号で入居して、たくさんの介護スタッフの方に看てもらいました。時々体調を崩したこともあったけど、ゆったりとした時間の流れの中、穏やかな日々が続いていましたね。私はおばあちゃんのご飯や歯ブラシを手伝ったり、車いすでのお散歩、おばあちゃんを助手席に乗せてのドライブも、本当に大好きだったよ。 ところが2月16日の深夜、いづテラスから「一瞬、上の血圧が70に下がって意識を失ったけど、点滴をして意識が戻った。」と連絡が入り、その日の昼にお母さんが様子を見に行ったところ、「血圧を持ち直して寝ていた。」と聞いて、おばあちゃんは強いから、回復したんだと思っていたよ。 そしたら日が変わった17日の深夜1時半頃、いづテラスから「脈がとれません。」と電話があって、それを聞いたお母さんは膝から崩れ落ち、急いで家にいたお母さんとお父さんと私でいづテラスに向かったけれど、ぬくもりを残して、おばあちゃんは息を引き取ってしまったね。 急なことで、この現実を受け入れたくなかったけれど、おばあちゃんが苦しまずに穏やかな顔をしていたことが、私たちにとって唯一の救いでした。 おばあちゃんが亡くなって、その日の深夜から朝にかけて、いづテラスの皆さんがたくさんご挨拶に来てくれて、本当に嬉しかったね。仕事ではないのに、夜中に家から駆けつけてくれて、号泣しながら頬ずりまでしてくれるスタッフもいて、その深い愛情に私はとても感動していました。 介護スタッフの皆さんのお言葉、おばあちゃんとの間の絆を感じられるものばかりでした。 例えば、「私の介護人生は、藤江さんありきでした。」 「藤江さんのおかげで、介護の楽しさを知りました。」 「翠さんをどうやって笑わせようとか考えるの、楽しかったなぁ。」 「私、しばらく翠さんロスになっちゃいそう。」 おばあちゃん、おばあちゃんはたくさんのスタッフにお世話になったお礼に、たくさんの思い出という贈り物を遺していってくれたね。いづテラスの皆さんに感謝だし、おばあちゃんもいづテラスの皆さんから感謝されている、そんな一時に立ち会えて、私は本当に幸せでした。 おばあちゃん、おばあちゃんはおいしいものや美しいものが大好きで、よく一緒にご飯を食べに行ったね。うなぎ屋さんや、温泉宿でお腹いっぱい食べて、くつろいで、一緒にテレビを見て笑っていたあのときを、とても懐かしく思います。 ピアノの発表会や運動会も、いつも1番前の席をとって応援しにきてくれたね。「Yちゃん、Aちゃん、Tちゃん(孫3人の名)が、一番良かったぁ!」って褒めてくれて、私たちの活躍を、とても喜んでくれた。 習いごとの送り迎えも、病院への付き添いも、車の中でたくさんのお話をしたことも、もう戻らないあのときの日常が、今となっては本当に特別なことに感じます。 イギリスや三重県の志摩には、家族みんなで旅行して、とても楽しかったね。今日の会場に、あの時の思い出の写真を持ってきて飾っているので、おばあちゃんも見てみてね。 たくさん、お手紙交換もしたね。おばあちゃんは、私のあげた小さな手紙から長文の手紙まで、大切にとっておいてくれたよね。 私は、おばあちゃんから小学生の高学年くらいの頃にもらったお手紙に、こんな言葉が書かれていたことを、今でも覚えています。 「天知る、地知る、人ぞ知る」 この言葉の真意として、おばあちゃんは、「誰にも分からないと思っていても、天も見ている、地も見ている、他人も知っている、そして何より自分自身が知っているのだから、いつも自分の善しと思える行動をしなさい」と前向きなメッセージで教えてくれました。 おばあちゃんの孫として恥じぬよう、これからも精一杯生きていこうと思います。 おばあちゃん、おばあちゃんは両親の早すぎる死、自分の力だけで養い生活していかなければならないプレッシャー、闘病や介護生活など、様々な試練があり、本当に今日まで、よく頑張ったね。 絶望に打ちひしがれて、深い悲しみに触れた後でも立ち上がり、強く生きていく心を手に入れたおばあちゃんは、本当にすごい人だと思います。三島南小や北中で障がい児や自閉症の子供達にも教師として力を尽くし、正義感を持って、情熱的に、どんなときも気概を持って生き抜いた人生だったね。おばあちゃんの大好きな「風と共に去りぬ」や韓流ドラマのように、本当にドラマチックだったね。 おばあちゃん、おばあちゃんの亡くなった2月17日は、青空の広がる、とても風が強い日でした。 私は、「風」って、目に見えないけれど確かにそこにある、何か不思議な力を感じます。 「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの名言「明日は明日の風が吹くわ。」も、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」(現代訳で、「風が起きた!さあ生きてみようではないか!」も、風の、目には見えない不思議な力を感じさせてくれます。 おばあちゃん、千の風になって、私達みんなのそばで、ずっと守っていてね。 私たちが、理想と現実の狭間で心がむなしくなりそうなとき、立ち上がらなければならないとき、風になって現れて、私たちに語りかけてね。 私たちもおばあちゃんをずっと忘れず、いつもおばあちゃんのそばにいます。 生まれ変わっても、また私たちのおばあちゃんになってね。 それでは最後になりますがなんて言うと、本当にさびしくてたまらないので、おばあちゃんに、またいつでも会えると思っています。 おばあちゃんのお名前「藤江翠」さん、そのお名前のように、美しく崇高な御霊、どうぞ安らかにお眠りください。 おばあちゃん、84年間、本当に今までお疲れ様でした。おばあちゃんを心から尊敬いたします。 そして私たちの心の中に、おばあちゃんは永遠に生き続けています。 本当に本当に、たくさんの愛情を、ありがとうございました。   心を込めて 孫代表 海野A    …

2018年03月21日

母の旅立ち

私の母 藤江 翠が空に旅立ちました。   母は、高校生の時に両親を亡くし、シングル・マザーで誰からも経済的援助もなく、私を育て上げた人です。 10年前に脳梗塞になってしまいました。その後、体調を崩したことが1回ありましたが、それ以外は、割合安定していて、元気な頃は、気も強くて、だから母はずっと生きている人だと何となく思い込んでいました。 でも、私も今までに元気な方でも突然亡くなってしまうことを見たりしていたので、何があったとしても、その時はそれが運命であることは受け入れなくてはと自分や家族にも言い聞かせたりする時もありました。   平成30年2月17日土曜日の午前1時半頃、電話が鳴り、たまたまちょうどベットに入ったところで、そんな時間に電話なんてもちろん嫌な予感でした。電話に出ると施設からで「翠さんの脈が取れません。」と言われました。最初、何のことか意味がわからず、でも血が引く感じがしましたが、急いで夫と家にいた娘とかけつけました。 母は、まだ温かく、生きているような感じもしましたが、ドクターが来てくださり、亡くなったことが告げられました。 私達家族は、何だかわからず、何もできませんでしたが、施設の方々に助けられました。   母は、最近言いませんでしたが、施設に入ってから、「家に帰りたい」と時々言い、車椅子で母の部屋まで私と夫と持ち上げて連れてきた時は、「もう、いくよー。」と言っても車椅子が動かないようにしがみつき、困ったこともあったので、やっと家に帰れたねと声をかけました。   私の結婚前の家庭は、少々複雑で私は、父とは一緒に暮らしたことはありませんが、姉2人が父の方にいました。2番目の姉は、イギリスの方と国際結婚し、現在、スペインに住んでいますが、スペインから来てくれるというのでお通夜までの間、少し母も家でゆっくりできて良かったです。   私と一番たくさん思い出があるので、私が喪主でしたが、いろいろ決めることや、やることがいっぱいあり、2度と喪主はやりたくないです。 でも、平安葬祭の方もとても温かく、ありがたかったです。私達の体をとても気づかってくださり、寝れる時に寝てくださいねと言われましたが、完全に徹夜しているのに夜になっても、全然眠れないのは、生まれて初めてでした。   でも、暖かく見送りたかったので、思い出の写真をたくさん飾りたいと平安葬祭さんにも話し、写真をたくさん選んだところ、お通夜の当日、会場に行ったら、写真を大きなパネルにしてくれたり、スナップ写真をハート型にたくさん飾ってくれたり、祭壇の花もすぐくきれいでびっくりしました。 竹本さん、ありがとうございました。   母は、つらいこともありましたが、乗り越えて、家族と共に過ごし、仕事、友人に恵まれ、立派な人生であり、幸せだったと思います。私が、お通夜で言った挨拶と、娘が葬儀で言ったお別れの言葉を載せます。       訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

2018年02月06日

悲しみよ さようなら

2018年1月31日の夜の皆既月食は、「スーパーブルーブラッドムーン」というすごく特別なお月様だったそうです。 皆さんも見ましたか?私ももちろん見ました。もちろん、TVで。寒いので。 2月になり、まだ寒いですが、寒さに負けずに過ごせますように。   ちょっと悲しいことがありました。でも私は人がいると人の前では絶対に涙が出ないので、「タフだから。」とか「強いから大丈夫。」などと言われるのですが、悲しいことは、悲しいですよねー。   今の時代、昔に比べて、うつ病の人が増えているそうです。ストレスや体の病気、環境の変化などいろいろ要因があり、現代社会は不安が多いです。うつ病になってしまう人は、真面目で責任感が強く、人あたりもよく周囲の評価も高い人が多いそうです。 優しい、いい人なんですね。   不安なことや悲しいことは、考えないようにしようと思ってもなぜだか考えてしまったりしますが、私は暗くなりそうな時、心の中で「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・。」 と連呼するようにしています。「ありがとう」を10万回言うと奇跡が起こるそうです。 奇跡が起きなくても余計なことを考えているより、時間がもったいなくないかもしれないです。   でも、病気でもないし、時間がたてばお腹もすくし、体のどこも痛くないだけでも幸せなことですよね。   私の母の悲しい話ですが・・・。 私の母は高1と高2の時に父親と母親を亡くしました。 父親が亡くなった時は、まだ母親がいたので、大丈夫だったそうですが、その後母親も病気になり、一生懸命看病したそうです。そして、食事も食べれなくなっていった時に「アイスが食べたい。」と言ったので、夜の真っ暗な海沿いを怖かったけど自転車でアイスを買いに行ったそうです。 でも、そんなに一生懸命買ってきたアイスもお母さんは、一口しか食べずに、悲しかったと言っていました。   その母親(私の会ったことのない祖母)も亡くなり、私の母はすごく落ちこんだとのことですが、担任の先生が「Mさん(私の母)もこれで、みんなと同じになったのよ。」と言ったそうです。   私は、両親を失った生徒になんということを言う先生だと頭にきましたが、うちの母は、それまでお金持ちのお嬢様でわりあい裕福だったので、「そうだったんだ。そう言えば、私は、ホットケーキも食べたことがあるし。」と思い、立ち直ったそうです。 その先生は、当時、お弁当を持ってこれない生徒に母のお弁当を分けてあげるように言っていたそうなんです。   ホットケーキというところが、今では笑っちゃうけど、当時はみんなそんなしゃれたものは、食べられなかった時代だったとのことでした。 結果が良ければ、立ち直れるきっかけはなんでもいいのですね。 なんでもいいから、元気になれば恩の字ですね。   訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

E68E88E6A5ADE4B8ADE381ABE8B5B0E3828AE59B9EE3828BE5AD90E381A9E38282ADHDE382A4E383A9E382B9E38388-min-thumbnail2
2018年01月24日

発達障害

発達障害の子供達を伸ばす為の研修会に行ってきました。   一口に発達障害と言っても子供によって、いろいろ違っていて大きくは知的障害、自閉症スペクトラム、注意欠損多動性障害(ADHD)、学習障害などに分類されます。   エジソンもアインシュタインもどうやら知的障害児だったらしいです。 エジソンは1+1=2がわからなくて小学校をクビになりました。でも、粘土で考えるとわかりやすいですが、2つをくっつけると1+1=1ですよね。2つの粘土を1回くっつけて、またそれを3つに分けると1+1=3ですよね。エジソンは考え方が柔軟だったのです。 エジソンのおかあさんは、エジソンを認め、お母さんが自分自身でエジソンを教育しました。エジソンは、電気を発明し、(ちなみに発明するまでには、5千回ぐらいの実験に失敗しています。)人類の歴史を変えるほど、優秀な人間になっています。   黒柳徹子さんだって、落ち着かないで授業を聞けず1年生で小学校をクビになりましたが、今では日本人だったら知らない人はなく、かつ世界の中でもユニセフの活動をしたりしています。   発達障害の子供達は、接し方次第で立派な人になる可能性に満ちているのです。障がい児ではなく、天才の卵なのだそうです。   発達障害の子供達は、昔に比べて増えているそうです。でも、それは親が悪いのではなく、地球規模で環境が汚染されているのも原因の一つだそうです。 食品に含まれる化学物質の増加、重金属の体内蓄積、電磁波、放射線の影響などが母体を変化させ、胎児にも影響しているそうです。 だから、子供達の未来を守る為にもきれいな地球を守っていきたいです。   アレルギーの子供も多いですが、和食はとてもすぐれている食べ物であり、日本のお米をはじめとする穀物、大豆、海藻、納豆、味噌、小魚、青魚などは、積極的に摂りたい食品とのことです。   我が家は、子供達が小さい頃、私が玄米をたいていて、子供達の保育園は給食でしたが、主食を持っていくので、玄米を持たせていました。玄米って、少し茶色なんです。   当時、保育園で3月生まれの誕生会があり、うちの子も3月生まれで迎えに行くと、先生が、「Tちゃんのお母さん、Tちゃん誕生会で好きな食べ物聞かれて、白いごはんて答えたんですよ!(笑)」と言ってくるではありませんか。 し、しろいごはん・・。   うちの子、何時代の子? 江戸時代、農民がいばった役人に収穫したお米を全部持っていかれ、麦ばかり食べていた時代でしょうか? それとも、「おしん」でお米が食べられず、大根ばかり食べていた時代でしょうか?   CMで参観日にお母さんの得意料理を聞かれた男の子が、「冷やっこです!」と答え、お母さんがずっこけるCMがありますが、正にその状態でした。   誕生カードの好きな食べ物のところにも「しろいごはん」と書いてありました。 でも、ほかほかのごはん、おいしいですよね!玄米も私は好きなのですが(笑)   マッサージも血流もよくなり、スキンシップとしてもとても有効なそうです。 ふくらはぎ、足裏、手のひら、脊髄をマッサージしてあげてください。   子供を伸ばす主役は、お母さんだそうですが、どの子も可能性に満ちているので、みんなでささえあっていけるといいですね。   訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

rakuenhosino
2018年01月17日

星野監督ありがとうございました。

平成30年1月4日に、中日、阪神、楽天で監督を務めた星野監督が膵臓がんで急死してしまいました。まだ、70歳なので多くの方々同様、私もショックでした。 私は野球が詳しくありませんが、星野監督はすごく好きでした。   星野監督は、巨人にスカウトされなかった為、「打倒巨人」を公言し、現役時代は、気迫のピッチングをしたそうですが、私もどちらかというと、お金持ちのエリート集団より、地方の球団、イメージ的には強いものに向かっていく、弱くても努力しているものという感じの球団の方が好きです。   いつもは、野球はあまり見ませんが、2013年の楽天 VS 巨人の日本シリーズは最後の2戦しっかり見てしまいました。   2011年3月11日に東北大震災が起こり、東北の方々に希望と喜びをという人々の思いが、たくさん感じられ、当時楽天にいた田中将大投手が連勝記録を作っていて6戦目で楽天が日本一になれる!と思いましたが、さすが巨人! ここで勝利し、なんと7戦目にもつれこんでしまったではありませんか。 田中投手の連勝記録もストップです。 野球ファンではない私もえーっと感じで心が沈みました。   7戦目、楽天は巨人に逆大手をかけられてしまいました。TVに東北の方々の応援風景も映し出されるので、なんか負けたらどうしよう・・・とドキドキして、TV見ながらも、TV見ないで応援して結果だけ知った方が良かったなと思いましたが・・・。   皆さん、ご存知のように、楽天が日本一に輝きました!   田中投手は、前日すごくたくさん投げたのに、この日9回表に星野監督をときふせて投げ、勝利し、この日が日本で最後の投球になりました。   星野監督は、東北の方々に感謝の気持ちを叫び、東北が歓喜に湧き上がっていました。 みんな、感動を与えてくれてありがとう!って、感じでした。   昔、TVで見た記憶があるのですが、星野監督は、小学校時代、毎日、足の不自由な友達を背負って登下校していたそうです。星野監督が、なんで自分ばかりみたいな不平をおかあさんにもらしたところ、おかあさんができる人ができない人を助けるのは、当然でしょみたいなことを言ったそうで、おかあさんも立派な方だったんだなぁと思いました。 昔は、ガキ大将でも弱い者を助けてくれるような子もいましたよね。 いたずらして先生に怒られても、勉強ができなくても、たくましくて弱い者いじめは許せない!みたいな。星野監督はもちろん勉強もできたでしょうけど。(笑)   でも「情けは人の為ならず」って、ことわざもありますものね。 星野監督は、少年時代、友達を背負って登下校することで、体力がついて、立派な野球選手になったのかも。それが筋トレだったかも。 人に何かやってあげるのに、勿論、みかえりを求めたりしませんが、その人の感謝の気持ちとか、いつか何かになってかえってくるかもしれませんね。   星野監督、ありがとうございました。          訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn