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2018年07月05日

トイレのおねえさん

ある大きなホテルがありました。 そのホテルに足が曲がって(O脚。内反変形と言います。)歩く時に体が少し揺れ動く女性がいました。年齢は、70歳ぐらいでしょうか。女性なのでおねえさんと呼びます。 そのおねえさんは、そこのホテルで働いていました。そのおねえさんの仕事は、・・・ そうです。おねえさんの仕事はトイレの清掃だったのです。(昔のTVの「奥様は魔女」風に。知ってますか?) そのホテルは、広かったので、お風呂場も入れて、何カ所もトイレがありました。 勿論1カ所につき、男性用と女性用があります。 おねえさんは体を揺らしながら1日、トイレからトイレへ移動し、ホテルの中をたくさん歩いてトイレをきれいにしてくれています。 足がO脚なのでたくさん歩いて膝が痛くないのかなと私は心配しましたが、おねえさんの言うことには、「私はここにきて1年半だけど、5kgもやせたんだよ。お金をもらってやせられるなんて、しあわせだよね。」とのことでした。 ホテルのトイレなので、割ときれいなのですが、男性のトイレは、離れるとセンサーで水が流れるようになっていて、流れが悪いのだかなんだか知りませんが、下のところをひっくり返すと尿石(?)がついていたりするそうで、こすったりするそうです。こすっても取れなかったり・・・。 ちなみに尿石(結石)が尿路にできてしまうことを「尿路結石」といい、女性よりも男性がなりやすいと言われています。そして、その典型的な症状の一つが(もちろん人によって違いますが)わき腹に我慢できないほどの激しい痛みが、時折波のようにおしよせる、疝痛という痛みです。 原因もいろいろありますが、自分で予防できる原因としては、偏った食事をしないことや、水分不足にならないことです。人によっては、のたうち回るほどの痛みと言うので、偏食はしないようにしましょうね。トイレも汚れてしまうし・・・。   トイレのおねえさんの話に戻りますと、今より若い時から清掃の仕事をやってきて、駅のトイレや電車の清掃をしていて、電車の清掃は時間がなくてすごく忙しかったし、駅のトイレは汚くて大変だったそうです。   何年か前に植村花菜さんの「トイレの神様」という歌が大ヒットしました。その歌は、トイレにはとてもきれいな女神様がいて、毎日きれいにしていたら女神様みたいにべっぴんさんになれるとおばあちゃんに教えられた女の子がトイレ掃除をがんばるという歌でした。   私がこの歌がヒットする前に聞いた話は、妊娠中、トイレをきれいに清掃していると、きれいな赤ちゃんが生まれるという話でした。だから、妊娠中も頑張ってトイレを掃除していましたが、これは、妊婦さんは、お腹が大きくて邪魔なので、トイレの掃除が大変なのですが、頑張ってやっていると安産でお産ができますよという感じもあるかもしれないです。妊娠中、動けることはできるだけやった方がいいので。(笑)   でも、家族だけが、使うトイレを掃除することなんて、全然たいしたことではないですよね。不特定多数の人が使うトイレが汚いとすごく嫌な気分になってしまいます。 まだ、食べることは、お腹がすいていても少しは我慢できますが、トイレは行きたくて仕方がない時にあと一時間我慢してと言われたら、それって地獄ですものね。   最近は見ませんが、昔は夢の中でトイレに行きたくてトイレをすごく捜すのですが、やっと捜しあてたら、すごく汚いとか、ドアがなくて人に丸見えで入れなくてどうしようと困っている夢を見たりしました。   トイレを汚さないように使うことはもちろんですが、トイレ掃除など人が嫌がる仕事をする方々には、感謝したいと思います。   トイレを清掃する人には、もっとたくさんお金をあげてほしいと思います。 一生懸命働くということが前提ですが、政治家でも芸能人でもトイレ掃除の方でもコンビニスタッフでも一生懸命働いている人は、ある程度自給が同じなのもおもしろいかなと思ったりします。お金が欲しかったら、たくさん働けばお金が稼げるみたいな。   生まれた家が裕福で、立派な教育を受け、自分自身、あるいはパートナーが高収入の仕事で、生まれた時から死ぬまで裕福な人生を歩む人もいます。その方々が人格も立派で謙虚な心を持っていればとてもすばらしいことですが、中には生まれた時からチヤホヤされて人の上に立つのがあたり前で、人を見下したりする人で、トイレ掃除などできない人であるならば、裕福でなくてもトイレの掃除ができる人の方が、トイレと同じように心がきれいかもしれないです。 トイレの神様、トイレ掃除を頑張っている人に、たくさんウン(運)がいいことプレゼントしてくださいね。         訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

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2018年06月03日

Tさんの物語

何年か前のお話です。 Tさんは、70代後半の女性で少し認知症がありましたが、生活保護を受けて一人暮らしをしていました。 私は、ヘルパーの資格も持っていて、Tさんのところには、毎日ヘルパーが入っていましたが、週に1~2回ヘルパーとして行くことになりました。 1回の訪問時間は、1時間。やることは、買い物と簡単な掃除と調理とのことでした。 初めて他のヘルパーさんにTさんの家に連れていってもらった時、「ちょっと、このお家入ると靴下が汚れるかな。」と思ってしまいました。台所は、認知症なので、ガスは危ないから、IHだから・・・と聞いたので、すごいですねと言っていたら、コンセントのついた電熱器が1個あるだけだった・・・。 お金は、Tさんに教えるとすぐに使ってしまうからということで、1万円ずつ封筒に入れてTさんにわからないように隠してあり、ヘルパーはそこから、必要な物を買ってくるとのことでした。 でも、Tさんは、明るくて、いつも近くのおばあさんがTさんの家に来て、ずっと一緒に過ごしています。Tさんに食事を作ると、Tさんは、いつもそのおばあさん(ちょっと髪型が山んば風)にも分けて、一緒に食べていました。山んばおばあさんがいる時は、いつもなので、「Tさん、いつもいつもごはんをあげて、いいんですか?」と山んばおばあさんがいない時に尋ねると、「あの人もいろいろ持ってきてくれるからいいんだよ。」とのことでした。私にも「おねーちゃんも食べてけば。」と言うのでさすがにそれは、断りましたが・・。なんか気前がいいんです(笑) Tさんの寝室は、いつも布団が敷きっぱなしでした。畳もザラザラしていて、Tさんに「布団干してます?」と尋ねると干したことないとのこと。布団がない方が掃除もきれいにできるので、ある日、思い切って布団カバーとシーツも洗い、寝室をきれいに掃除して、約1時間干して、布団を取り込み、シーツ類は、乾かなかったので、乾いたら自分でかけてねと言うと、Tさんが、「おねーちゃんだけだよ、こんなことやってくれたのは」と言ってくれました。ので、干しちゃた方が、部屋もきれいになるし・・・。 Tさんの寝室には、亡くなった旦那さんの写真が飾ってあって、その前に、1本ろうそくが立っていました。「Tさんの旦那さん、かっこよかったですね。(お世辞ではなく本当にイケメンでした。)」 と言うと、「目が全然見えなくて、朝3時に起きると散歩に行くっていうから、真っ暗い中を引っ張って歩いて、大変だったよ。」とのことでした。毎日なんて・・・。 ガーンって感じ。Tさん大変でしたね。 私「Tさんは、兄弟とかいるんですか?」 T「私は、もらいっ子だったから1人だったよ。結婚も親がいうところへ行ったけど、子供ができなくて、戻されちゃって。それで、今の旦那のところにきたんだよ。目は見えなかったけど、いい人だったよ。 というTさん、なんか全部、Tさんの希望ではなかったんだなと少し感じてしまいましたが、Tさんは1つも不満を言ったりしたことはありませんでした。   ある日、私はTさん宅の台所をネズミが走っていくのを見てしまいました。驚きました! Tさんは、畳に布団を敷いて寝ているので、寝ている時にネズミにかじられたりしたら大変です。 ヘルパー会社の責任者さんにtelすると、「みんなネズミのフンが落ちてるって言ってたけど、やっぱり出てきたんだね。電話ありがとう。なんとかしてもらうね。とのことでした。 後日、連絡があり、業者さんに入ってもらって駆除してもらったら、7匹も取れたんだって・・・。」だそうです。   また、ある雨の日曜日の朝8時、訪問すると、すぐに山んばおばあさんも来ていて、こたつでTV見ていますが、Tさんは、布団の中。珍しく体調が悪そうです。「どうしたの?」と尋ねると、「私は頭痛持ちで、雨の日は、頭がすごく痛いの。おひつにお米が全然なくて、お金もない・・・。どうしよう・・・。」と訴えます。おひつを見るとお米がほとんどありません。お金の場所もTさんは知りません。 でも、車で15分ぐらいの大きなスーパーはやっているので、「大丈夫だよー。お米売っているお店あるから買ってくるからねー。」と話して買ってきました。お米を買っていくとTさんは落ち着きましたが、山んばおばあさんは、ずーとのん気にTVを見てました。   また、別のある日、ゴミを捨てに行くので、Tさんに「一緒に行く?」と誘いました。Tさんも一つ返事で「行く。」とのことだったので、一緒に出掛けました。すると、Tさんは、下ばかり見て歩き、何か光ったりするものがあると拾いました。「なんだ1円じゃなかった。」私はいつも何かいい物が落ちてないか下を向いて歩くんだよ。」と笑っていました。   そんなある日、ヘルパー会社の責任者さんからtelがありました。   Tさん宅が火事で全焼したとのこと。 驚きました。「Tさんは、大丈夫ですか?」 「Tさん、ろうそくつけっぱなしで外にいっちゃって、その間にろうそくが、倒れたんだって。だから、Tさんは、無事だよー。Tさん、施設に入ったんだって・・・。」とのことでした。 火事にならないように、ガスじゃなくて、電熱器使っていたのに・・・。旦那さんの写真の前に置いてあったろうそくが倒れたなんて・・・。 でも、Tさんは、無事で回りのお宅も無事でした。Tさんは、施設に入ったそうです。施設の方が、常時、回りに誰かいるし、清潔だし、衣食住安心なのでいいかもしれないと思いました。 少しして、聞いたことには、友達の山んばおばあさんの方が寂しくなってしまい、「私もTさんがいる施設に入る。」と言っていたそうです。 それから、数年後、私が他の方をマッサージしに行っていた施設になんとTさんがいるではないですか。 「Tさん。」と声をかけると、Tさんが、「すいません。私は、すぐに忘れてしまって、誰だか思い出せない。」とのことでした。 そんなこと、全然いいんですよ。Tさん、元気に楽しくお過ごし下さいね。         訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

2018年04月14日

ジャズ!

「坂道のアポロン」という映画を見てきました。私は、感動する映画が好きでこの映画は、友情や音楽(ジャズ)もテーマにしているし、私の小さい時の家庭も普通の暖かい家庭とは違っていたせいか、ちょっと辛い生い立ちの子供が頑張って成長していく話が好きです。 主人公、薫(男)、千太郎、律子の3人は3人とも大好きです。舞台が長崎なので長崎弁ですが、長崎弁って響きが暖かくて聞いていると心も暖かくなってきます。 映画の冒頭に薫がピアノでジャズの「Moanin」という曲を奏でます。「モーニン」は、どこかで聞いたことがある!という曲なのですが「モーニン」と言っているので、朝の挨拶の「グットモーニング」の「モーニン」かと思っていたら「Moanin」の「moan」は嘆き、呻きという意味でした。劇中では、薫のピアノと千太郎のドラムとセッションする場面が何回かでてきて楽しい歌なのかと思ったら、悲しい歌なのでした。   ジャズって雰囲気では、「こういう感じの音楽!」ってわかりますが、定義を調べると、19世紀末から20世紀にかけて、米国南部で黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合してできた音楽で、独自のリズム感、即興演奏などが特徴-だそうです。   皆さんももちろん差別は嫌いだと思いますが、私ももちろん差別は嫌いで(笑)、子供の頃、「アンクル・トムの小屋」という黒人が主役の物語を読んだところ、当時、黒人は奴隷として差別されていて、人生がとても辛いものだったので、せめて亡くなった時ぐらいは音楽を演奏して明るく天国に送ってあげようとしたとか、読んだ気がします。 当時のCMでやってたのかな? その時に演奏したのがジャズだそうです。   薫と千太郎がバーでピアノとドラムの演奏をしている時に白人がきて、「白人のジャズをやってくれ。」と言われ、千太郎が怒ってケンカするのですが、音楽は字のごとく音を楽しむものなので、白人も黒人もないですよね。   この映画は、ジャズのセッションシーンが何回か出てきますが、「カッコイイ!」という感じです。私は楽器が弾けませんが、楽器が弾ける人がうらやましいです。 (あっ、保育士時代 帰ってきたウルトラマンや隣りのトトロや勇気100パーセントやその他好きな歌は弾いていましたが。笑)   この映画を見て高校生の時代に戻りたくなりました。戻れたらやりたいことが、いっぱいありますが、まずは勉強かな(笑)。 でも「人生は何才からでも挑戦できる。」という言葉もあり、まだ人生は続いていくので「あせらず あわてず あきらめず」(by 松下 幸之助)ですね。(笑)       訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn

2018年03月21日

思い出よ永遠に

前回のブログの続きです。お通夜での挨拶(喪主:海野真理子)と葬儀でのお別れの言葉(孫:海野A)を載せます。長くなりますが、よろしかったらお付き合いください。   *お通夜で言った挨拶(喪主:海野真理子) 本日は寒さの厳しい中、又ご多用中のところ、お寺様をはじめ、皆様方の心のこもったご供養、お焼香を賜り、誠にありがとうございました。 又、先程来からお忌みのお言葉や励ましを頂き、亡き母も共に感謝している事と思います。 母は「風と共に去りぬ」の映画が大好きでしたが、母の人生はスカーレット・オハラに似ていると思います。裕福な家庭に生まれ、若い頃はとてもきれいでしたが、両親を高校生の時に亡くしてからは苦労の連続でした。 が、どんなに貧乏しても人間としてのプライドは失わず、負けないで乗り越え、障がい児教育の教師として立派に勤めあげました。 母は優しい人という感じではなかったかもしれませんが、忘れられない人だと思います。私は娘として厳しくされたことも多く、すべてが楽しい思い出だけではありませんが、すべての思い出を私の人生の糧にしていきたいと思います。 晩年お世話になった「特別養護老人ホームいづテラス」の介護士の方々にはとても愛していただき、穏やかな日々を送れたことを感謝しています。 皆様、本日はお疲れのところ遅くまで、誠にありがとうございました。   *葬儀で言ったお別れの言葉(孫:海野A) おばあちゃんへ おばあちゃん、長い間、ずっと私たちを可愛がってくれて、お世話をしてくれて、いつも私たちの成長を喜んでくれて、たくさんの愛情を、本当にありがとうございました。 私たちは、これまでもこれからもずっと、おばあちゃんの孫でいられることを、とても誇りに思っています。 おばあちゃん、おばあちゃんが亡くなってしまったなんて、まだ何だか、信じられないです。ただ静かに眠っているだけなんじゃないかと、そう思ってしまいたいです。 おばあちゃんが脳梗塞を発症したのは、私が高校1年生のときでしたね。入院することになって、長期でおばあちゃんが家にいなくなることなんて初めてのことでした。高校からの帰り道、自転車で東大場の坂を登って、一番はじめに見えるおばあちゃんの部屋。そこに明かりがついていなくて涙が出てしまい、玄関に入って一番の「Aちゃんおかえりなさーい!」の声が聞こえなくて、また涙が出てしまう、しばらくはそんな毎日でした。 それから少しずつ体調が回復し、新設された老人ホームのいづテラスに第一号で入居して、たくさんの介護スタッフの方に看てもらいました。時々体調を崩したこともあったけど、ゆったりとした時間の流れの中、穏やかな日々が続いていましたね。私はおばあちゃんのご飯や歯ブラシを手伝ったり、車いすでのお散歩、おばあちゃんを助手席に乗せてのドライブも、本当に大好きだったよ。 ところが2月16日の深夜、いづテラスから「一瞬、上の血圧が70に下がって意識を失ったけど、点滴をして意識が戻った。」と連絡が入り、その日の昼にお母さんが様子を見に行ったところ、「血圧を持ち直して寝ていた。」と聞いて、おばあちゃんは強いから、回復したんだと思っていたよ。 そしたら日が変わった17日の深夜1時半頃、いづテラスから「脈がとれません。」と電話があって、それを聞いたお母さんは膝から崩れ落ち、急いで家にいたお母さんとお父さんと私でいづテラスに向かったけれど、ぬくもりを残して、おばあちゃんは息を引き取ってしまったね。 急なことで、この現実を受け入れたくなかったけれど、おばあちゃんが苦しまずに穏やかな顔をしていたことが、私たちにとって唯一の救いでした。 おばあちゃんが亡くなって、その日の深夜から朝にかけて、いづテラスの皆さんがたくさんご挨拶に来てくれて、本当に嬉しかったね。仕事ではないのに、夜中に家から駆けつけてくれて、号泣しながら頬ずりまでしてくれるスタッフもいて、その深い愛情に私はとても感動していました。 介護スタッフの皆さんのお言葉、おばあちゃんとの間の絆を感じられるものばかりでした。 例えば、「私の介護人生は、藤江さんありきでした。」 「藤江さんのおかげで、介護の楽しさを知りました。」 「翠さんをどうやって笑わせようとか考えるの、楽しかったなぁ。」 「私、しばらく翠さんロスになっちゃいそう。」 おばあちゃん、おばあちゃんはたくさんのスタッフにお世話になったお礼に、たくさんの思い出という贈り物を遺していってくれたね。いづテラスの皆さんに感謝だし、おばあちゃんもいづテラスの皆さんから感謝されている、そんな一時に立ち会えて、私は本当に幸せでした。 おばあちゃん、おばあちゃんはおいしいものや美しいものが大好きで、よく一緒にご飯を食べに行ったね。うなぎ屋さんや、温泉宿でお腹いっぱい食べて、くつろいで、一緒にテレビを見て笑っていたあのときを、とても懐かしく思います。 ピアノの発表会や運動会も、いつも1番前の席をとって応援しにきてくれたね。「Yちゃん、Aちゃん、Tちゃん(孫3人の名)が、一番良かったぁ!」って褒めてくれて、私たちの活躍を、とても喜んでくれた。 習いごとの送り迎えも、病院への付き添いも、車の中でたくさんのお話をしたことも、もう戻らないあのときの日常が、今となっては本当に特別なことに感じます。 イギリスや三重県の志摩には、家族みんなで旅行して、とても楽しかったね。今日の会場に、あの時の思い出の写真を持ってきて飾っているので、おばあちゃんも見てみてね。 たくさん、お手紙交換もしたね。おばあちゃんは、私のあげた小さな手紙から長文の手紙まで、大切にとっておいてくれたよね。 私は、おばあちゃんから小学生の高学年くらいの頃にもらったお手紙に、こんな言葉が書かれていたことを、今でも覚えています。 「天知る、地知る、人ぞ知る」 この言葉の真意として、おばあちゃんは、「誰にも分からないと思っていても、天も見ている、地も見ている、他人も知っている、そして何より自分自身が知っているのだから、いつも自分の善しと思える行動をしなさい」と前向きなメッセージで教えてくれました。 おばあちゃんの孫として恥じぬよう、これからも精一杯生きていこうと思います。 おばあちゃん、おばあちゃんは両親の早すぎる死、自分の力だけで養い生活していかなければならないプレッシャー、闘病や介護生活など、様々な試練があり、本当に今日まで、よく頑張ったね。 絶望に打ちひしがれて、深い悲しみに触れた後でも立ち上がり、強く生きていく心を手に入れたおばあちゃんは、本当にすごい人だと思います。三島南小や北中で障がい児や自閉症の子供達にも教師として力を尽くし、正義感を持って、情熱的に、どんなときも気概を持って生き抜いた人生だったね。おばあちゃんの大好きな「風と共に去りぬ」や韓流ドラマのように、本当にドラマチックだったね。 おばあちゃん、おばあちゃんの亡くなった2月17日は、青空の広がる、とても風が強い日でした。 私は、「風」って、目に見えないけれど確かにそこにある、何か不思議な力を感じます。 「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの名言「明日は明日の風が吹くわ。」も、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」(現代訳で、「風が起きた!さあ生きてみようではないか!」も、風の、目には見えない不思議な力を感じさせてくれます。 おばあちゃん、千の風になって、私達みんなのそばで、ずっと守っていてね。 私たちが、理想と現実の狭間で心がむなしくなりそうなとき、立ち上がらなければならないとき、風になって現れて、私たちに語りかけてね。 私たちもおばあちゃんをずっと忘れず、いつもおばあちゃんのそばにいます。 生まれ変わっても、また私たちのおばあちゃんになってね。 それでは最後になりますがなんて言うと、本当にさびしくてたまらないので、おばあちゃんに、またいつでも会えると思っています。 おばあちゃんのお名前「藤江翠」さん、そのお名前のように、美しく崇高な御霊、どうぞ安らかにお眠りください。 おばあちゃん、84年間、本当に今までお疲れ様でした。おばあちゃんを心から尊敬いたします。 そして私たちの心の中に、おばあちゃんは永遠に生き続けています。 本当に本当に、たくさんの愛情を、ありがとうございました。   心を込めて 孫代表 海野A    …

2018年03月21日

母の旅立ち

私の母 藤江 翠が空に旅立ちました。   母は、高校生の時に両親を亡くし、シングル・マザーで誰からも経済的援助もなく、私を育て上げた人です。 10年前に脳梗塞になってしまいました。その後、体調を崩したことが1回ありましたが、それ以外は、割合安定していて、元気な頃は、気も強くて、だから母はずっと生きている人だと何となく思い込んでいました。 でも、私も今までに元気な方でも突然亡くなってしまうことを見たりしていたので、何があったとしても、その時はそれが運命であることは受け入れなくてはと自分や家族にも言い聞かせたりする時もありました。   平成30年2月17日土曜日の午前1時半頃、電話が鳴り、たまたまちょうどベットに入ったところで、そんな時間に電話なんてもちろん嫌な予感でした。電話に出ると施設からで「翠さんの脈が取れません。」と言われました。最初、何のことか意味がわからず、でも血が引く感じがしましたが、急いで夫と家にいた娘とかけつけました。 母は、まだ温かく、生きているような感じもしましたが、ドクターが来てくださり、亡くなったことが告げられました。 私達家族は、何だかわからず、何もできませんでしたが、施設の方々に助けられました。   母は、最近言いませんでしたが、施設に入ってから、「家に帰りたい」と時々言い、車椅子で母の部屋まで私と夫と持ち上げて連れてきた時は、「もう、いくよー。」と言っても車椅子が動かないようにしがみつき、困ったこともあったので、やっと家に帰れたねと声をかけました。   私の結婚前の家庭は、少々複雑で私は、父とは一緒に暮らしたことはありませんが、姉2人が父の方にいました。2番目の姉は、イギリスの方と国際結婚し、現在、スペインに住んでいますが、スペインから来てくれるというのでお通夜までの間、少し母も家でゆっくりできて良かったです。   私と一番たくさん思い出があるので、私が喪主でしたが、いろいろ決めることや、やることがいっぱいあり、2度と喪主はやりたくないです。 でも、平安葬祭の方もとても温かく、ありがたかったです。私達の体をとても気づかってくださり、寝れる時に寝てくださいねと言われましたが、完全に徹夜しているのに夜になっても、全然眠れないのは、生まれて初めてでした。   でも、暖かく見送りたかったので、思い出の写真をたくさん飾りたいと平安葬祭さんにも話し、写真をたくさん選んだところ、お通夜の当日、会場に行ったら、写真を大きなパネルにしてくれたり、スナップ写真をハート型にたくさん飾ってくれたり、祭壇の花もすぐくきれいでびっくりしました。 竹本さん、ありがとうございました。   母は、つらいこともありましたが、乗り越えて、家族と共に過ごし、仕事、友人に恵まれ、立派な人生であり、幸せだったと思います。私が、お通夜で言った挨拶と、娘が葬儀で言ったお別れの言葉を載せます。       訪問医療マッサージ マザー・マリー治療院 住所 〒411-0802 静岡県三島市東大場1-23-11 TEL 080-8252-5895 受付時間 9:00~21:00 休診日 日曜日 当店Facebookはこちら http://bit.ly/28ZNApn